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2009年9月18日金曜日

行き過ぎた保護活動と生物多様性の破壊と自然環境の調和

 近年、自然保護や地球環境に関心が高まり、多くの人が海岸・河川清掃等の環境保護・保全活動に参加される中、自然保護や種の保存などと称し、すでに絶滅してしまった“種(絶滅種〔Extinct Species〕)の復活” “絶滅の危機に瀕している種(絶滅危惧種〔Endangered Species〕)の保護”、などという愚かな活動を一部の自然保護団体や自然愛好家が行っている。その行為が、美談として、あるいは、素晴らしいことであるかのように、新聞、雑誌、テレビなどで報道されている。
 そもそも、その地域に生息していた生物が環境の悪化(人間の活動)にともなって絶滅してしまったのだから、絶滅してしまった種を復活させるなどということは、死んでしまった人間を「生き返らす。」と言っているようなものだ。それでは、いったいどこから絶滅してしまった種をつれて来たのだろうか。まさか、「生き返らせた。」と言うのではないだろう。だとすると、どこかの地域で捕獲・採取され、繁殖飼育された種を放流あるいは、放蝶または放虫しているのだろう。(魚類や昆虫に限らず植物においても同様である。)確かに見た目にはどこの地域の種であても、ゲンジボタル〔Luciola cruciata Motschulsky, 1854 〕はゲンジボタルに変わりないのである。ゲンジボタルは、その発光の強さや飛翔の優雅さなどから、日本のホタル類の中でも人目を引きやすい。そのため、観光や自然回復をアピールする目的で、しばしば他地域から人為的に移入されてきた。無論、ゲンジボタルの生息地に「ホタルには変わりないのだ。」と言って、ヘイケボタル〔Luciola lateralis Motschulsky, 1860〕の幼虫を放流することはないであろうが・・・・・・?。
 現段階ではゲンジボタルは種より下位の亜種には分けられてない。しかし、種より下位の分類群の多様性も保護されるべきであることは世界共通の認識となりつつある。実際、1993年に日本が締結した生物多様性条約(Convention on Biological Diversity)第2条には, 「生物多様性」の定義として、種内(within species)多様性も明記されている。この国際条約に基づいて制定された日本の生物多様性基本法(平成20年6月6日施行)第2条も同様である。
 亜種レベルの差異ならば他の亜種との交配が可能であり、「自然を回復させる」との名目で他の場所から生物を持ち込むことは、多様性を失わせて亜種を消滅させることになり種の保全にはマイナスとも言える事態を引き起こす。
 生物の個体はそれぞれある程度の遺伝子を共有する複数個体からなる集団に属し、一つの遺伝子プールを持っている。この集団を繁殖可能集団、デーム、あるいは個体群という。生物種は個体群そのものである場合もあるし、複数の個体群で構成されている場合もある。それぞれの個体群内で生殖が行われ、次世代の個体が生み出される。したがって、ある個体が死んでもその集団は存続するが、その集団に属する全個体が死んだ場合、その集団は消滅する。その場合、近縁であっても異なった集団は別の遺伝子プールを持つ集団であるから、失われた集団と同じものを復元することができない。(ただし、絶滅を回避できても個体が激減している場合はやはり以前と同じ遺伝子プールを復元することはできない)。これが絶滅である。絶滅は不可逆的な現象である。
 ”ホタルの飛び交う里”などと銘打って地域おこしと自然環境保護活動をしているが、その多くは他地域の種を繁殖飼育させ放流しているのだ。(移入)確かに過去にはホタルが飛び交っていただろう。だが、「沢山のホタルが飛び交っていて綺麗だから」というだけで、種の生態系や生息調査などしないで、(日本には40種類以上のホタルがいると言われる。)放流すればわずかに生き残った種と交雑し、遺伝子の撹乱を引き起こし、元々いた天然のゲンジボタルとは進化系統も発光周期も異なる移入ゲンジボタルに入れ替わってしまうのである。
 毎年繰り返し行われる幼虫の放流は、ゲンジボタルが定着し、繁殖できないことを物語っている。あるいは、観光や自然回復をアピールする目的のために定着しないゲンジボタルの放流を繰り返すのだろうか。「自然保護だ。」「種の保存だ。」「自然の回復だ。」など言って、定着しないゲンジボタルの放流を繰り返し、素性の知れないゲンジボタルの幼虫を「環境教育の一環だ。」と、園児や小学生(低学年)に放流させいるのだ。なんとも不思議な光景であり、違和感を憶えるのである。こうした保護・保全活動は人間にととって都合のいい、行き過ぎた自然保護活動である。
 行き過ぎた自然保護活動は、特定の一種のみを増やし、その地域の生態系を破壊するばかりでなく、河川であれば、下流域においてもその影響を及ぼし、広範囲で生態系と生物多様性の崩壊をまねく危険性をはらんでいるのだ。これでは本末転倒である。人間にとって都合の良い自然保護活動などないにひとしいのだ。
 “真の自然保護・種の保存”を言うのであれば、種の生態系や生息状況、環境、生物多様性等の調査行い、特定の種のみを保護・保全するのではなく、生態系そのものを保護・保全しなければならないのである。河川の浄化や自然の回復・水質の浄化だけではなく、親が産卵し、幼虫が蛹化のために上陸する岸辺、休息するための河川周辺の環境まで整備が不可欠であり、また、餌となるカワニナはもちろん、各成長段階に対応した環境が必要である。ホタルが定着したことで河川を含む環境が良くなったと考えるのは、必ずしも十分ではないと言える。たとえばトンボ類であれば、成虫が河川周辺の広い範囲を飛び回り、そこで餌を食べ、種によっては縄張りを作るなどさまざまな行動をする必要があるため、はるかに広い範囲の自然環境を必要とする。狭い範囲の場所のみを保全(保護・保全区域等に指定)したところで、多様な生物が定着し、繁殖するはずがないのである。自然環境はそれほど単純ではなく、人間が頭の中で考えるよりもはるかに複雑なのだ。その複雑な自然環境の調和が保たれてこそ生態系が守られるのだ。それこそが本当の自然保護と言えるのだろう。
 全ての生物は直接的(食物連鎖)あるいは、間接的(死骸や落葉などの分解)に関わり、複雑かつ合理的にその均衡を保っているのである。複雑かつ合理的な均衡が崩れた時、直接的あるいは、間接的にヒトに影響を及ぼすのだ。(すでに、大なり小なり影響を及ぼし始めている。)
 愚かな人間は言う。「生物とヒトは違うのだ。」と、「生物の中でも、ヒトは特別なのだ。」と、・・・・・・。「ヒトは特別なのだから、環境を破壊し、生物を絶滅させても良い。」と言うのであろうか。「ヒトは特別なのだから、特別な能力で特別な何かができる。」と言うのだろうか。ヒトも生物群の中の一種でしかないのだから地球上に生息する生物として、自然環境の調和を今こそ、真剣に考える時なのではないのだろうか。



出典・引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホタル
ゲンジボタル 
ヘイケボタル




2009年9月7日月曜日

守るべき自然はないと思われていた二次的自然

 白神山地や屋久島の原生自然(Wilderness)は、人為が加わらずに残された貴重な場所として世界自然遺産に登録され、その重要性は広く認知されている。このような場所は国土全体のわずかで、その多くは里地・里山(農村)であり、人為を加えることによって形成された二次的自然(Secondary Nature)が国土の4割を占めている。
 里地・里山(一般的に、主に二次林を里山、それに農地等を含めた地域を里地と呼ぶ場合が多いが、言葉の定義は必ずしも確定しておらず、全てを含む概念として里地・里山と呼ぶ。農業を主体とした都市近郊の集落も含む)は、原生的自然(奥山)と都市地域との中間地域に位置し、集落とそれを取り巻く二次林、(森林が伐採や火災などで破壊されたあと自然再生してできる林。植林は含まない。)それらと混在する農地、溜池、草原等で構成される地域概念で、農林業にともなうさまざまな人間の働きかけ(人為的撹乱)を通じて環境が形成・維持されてきた地域である。このような里地・里山地域は、人間の手を介入させること自体が「あるがままの自然」ではないとみなし、原生自然ではないのだから、そこには守るべき自然などないと思われていた。
 環境省は、平成11年から自然保護協会などに委託し三ヵ年にわたって日本の里地里山の調査を実施し、分析についての中間報告結果を発表した。①絶滅危惧種(メダカ等かつて身近にいた種を含む)が集中して生息する地域の多くは、原生的な自然地域よりむしろ里地・里山地域である。②かつては身近にいた絶滅危惧種(メダカ、ギフチョウ等)及び絶滅危惧種以外の身近な種(トノサマガエル、ノコギリクワガタ等)の生息地域の5割以上が里地里山にある場合が多いこと。など、里地・里山が、生物多様性保全上(絶滅危惧種をはじめとする野生生物の保護上)極めて重要な地域であることが明らかになった。こうした流れの中で、いつしか「農業・農村風景」は多種多様な生物が生息し、人間達にも「潤い」と「やすらぎ」を与えてくれる重要な財産としてその存在が注目され、さまざまな団体が里地・里山の保全活動をしている。



日本の里地里山の調査・分析について(中間報告)
里地里山パンフレット
生きものと共生する地域づくり
都市近郊における農村の絶滅危惧植物と地域住民との関わり




2009年9月1日火曜日

生物の多様性に関する条約

 「生物の多様性に関する条約」( Convention on Biological Diversity / CBD、平成5年条約第9号)とは、生物の多様性を「生態系」「種」「遺伝子」の3つのレベルでとらえ、①生物多様性の保全、②生物多様性の構成要素の持続可能な利用、③遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分を目的とする国際条例である。
 「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)」や「ラムサール条約」のように、特定の行為や特定の生息地のみを対象とするのではなく、野生生物保護の枠組みを広げ、地球上の生物の多様性を包括的に保全することが、この条約の目的である。 また、生物多様性の保全だけでなく、「持続可能な利用」を明記していることも特徴の一つである。
 条約加盟国は、生物多様性の保全と持続可能な利用を目的とする国家戦略または国家計画を作成・実行する義務を負う。 また、重要な地域・種の特定とモニタリングを行うことになっている。
さらに、生物多様性の持続可能な利用のための措置として、持続可能な利用の政策への組み込みや、先住民の伝統的な薬法など、利用に関する伝統的・文化的慣行の保護・奨励についても規定されている。



出典・引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』生物の多様性に関する条約 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9%E3%81%AE%E5%A4%9A%E6%A7%98%E6%80%A7%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84

生物の多様性

環境省へようこそ! 
http://www.env.go.jp/

生物多様性 -Biodiversity-





2009年8月30日日曜日

追い討ちをかける

 20世紀の科学技術の進歩は、さまざまな夢を実現し、豊かな生活を手に入れることがでるようになった。そして、大量生産・大量消費という生活様式は、自然環境だけではなく、人々の暮らしまで侵食し続けた。その結果、地球温暖化を引き起こし、オゾン層を破壊し、熱帯雨林を激減させた。地下水の枯渇、砂漠化、酸性雨、塩害、海洋汚染などによって地球規模で生物種の絶滅が加速している。
 南伊予も例外ではなく、その脅威を見てとれる。バケツをひっくり返したような雨の降り方、平均気温の上昇、草木の開花時期・開花期間の変化、南方系の鳥類・昆虫類の目撃など、あらゆる所でゆるやかではあるが確実に進行しているのである。
 飽くなき人類の欲望は、高度な科学技術よって私たちに文化的生活と経済的豊かさ(物質)をもたらしたが、その引き換えに豊かな自然環境と心(精神)の豊かさを失わせる結果となった。
 現代の子どもたちは、豊かな自然環境と素朴な共同体に支えられて成長していったかつての子どもたちとは異なり、極めて人工的な環境で生活することを余儀なくされているのだ。真夜中まで眠らない子ども、長時間TVゲームにはまってしまう子ども、ファーストフードで育つ子ども、TVの残虐シーンに魅せられる子ども、受験地獄、育児放棄、人間らしい触れ合いの希薄な子どもなど、現代の子どもの諸問題の多くは、人工的な成育環境が少なからず影響しているように思う。そのような子どもたちが大人に成った時、その時代はどうなっているのだろうか。自然環境は失われ、人間らしい触れ合いのない極めて人工的な環境の中で無味乾燥な生活を送っているのだろうか。そのような子どもたちの体の成長や心の発達を支えていくためには、従来の子育てや教育の考え方による対応だけでは難しく、特に子どもに生命の仕組みや生態系について考える生物学的な視点は必要不可欠なものと言えるだろう。
 最近、「生物多様性(biodiversity)」という言葉が盛んに使われるようになった。生物多様性とは何か。このままでは人類の生存すら危うくなるのではないか、といった漠然とした不安、危機感から生まれた新しい言葉なのだ。 生物多様性は、遺伝子の多様性、種の多様性、生態系の多様性という3つのレベルで考えるのが一般的である。これに景観の多様性を加える人もいる。自然保護あるいは環境、生態系を論ずる場合、今や「生物多様性」の意味を理解せずには語れない時代になった。
 環境省では、生物多様性センターを設置し、ホームページなどで生物多様性の保全を訴えている。が、しかし、大量生産・大量消費という生活様式(経済的・物質的豊かさ)に侵食された人々は、社会秩序や道義的責任を無視し、大量の産業廃棄物と粗大ゴミを投棄し、「自然にやさしいエネルギー」と言う大義名分の元、渡り鳥の飛行コースに風力発電施設を設置し、「自然保護だ」と言って、他地域の生物個体(メダカやホタルなど)を野外に放ち、「地球環境の保護- CO2の削減」などと言って、その地域の森林生体系を無視した植林をするなど、安易に行われる動植物の移植、移入、このような人間の愚かな行為でますます自然環境は破壊され、生物の多様性も失われていくのだ。そして、行き過ぎた自然環境保護運動により伝統文化までも消滅するのである。



環境省 自然環境局 生物多様性センター http://www.biodic.go.jp/
 


2009年8月29日土曜日

南伊予の自然環境と現状


 南伊予は、松山平野(道後平野)の南縁部に広がる北斜面のゆるやかな傾斜地で、標高4m(下三谷 四反地)から403m(行道山)の低地帯(丘陵帯)であり、原生自然(Wilderness1 : 太古の昔から人の手が入らず、遷移が進行した結果、安定的な生態系を形成している自然)の残る地域ではなく、二次的自然(Secondary Nature)である。
 古くは、米作を中心とした純農村であり、1955年(昭和30年)頃には、温州みかん等の柑橘類の栽培が盛んになり、多くの山林を開墾し、みかん畑を造り、水田や畑、水路など農業水利施設を維持管理してきた。農家や土地改良区の仕事の結果生まれた二次的自然環境あり、農業が守り育ててきたこれらの環境には、長い年月を掛けて多種多様な生物が生息するようになり、多種多様な生態系が形成された。(森林生態系、草原生態系、水田生態系、ため池・湖沼生態系、河川生態系など)人が手を加えること(人為的撹乱)で管理・維持されてきた自然環境(人工的であったが、美しい農村の風景であったと思う。)ではあったが、経済の成長と共に多く自然環境が失われ、生息していた生物もその姿を消しつつある。
 近年は、農業従事者の高齢化と農産物の価格低迷により、兼業農家が増え、耕作放棄地の拡大が進んでいる。(農用地全体の13.23 %に及んでいる。)


 耕作放棄地では、人為的撹乱(下草刈りや間伐・田畑の耕作など)が行われなくなったため、二次遷移(すでにあった群落が破壊されて裸地でき、そこから始まる遷移)が進行している。背の高い草がはびこり、落葉樹(アカメガシワ・センダン・ネムノキ等)の侵入が見られ、いずれは森になるかもしれない。「それはそれで良いのではないか。」と言う人もいる。そうかもしれない。しかし、水田や畑という特殊な土地条件が、多種多様な生態系を育んできたことも確だ。そして、美しい景観をも形成してきたのだ。人が手を加え続けることによって維持され、形成された二次的自然(人為が加わることによって、いわば遷移を止めた状態)は、放棄されると二次遷移が進み、二次的自然に特有の動植物が生息できなくなるのである。そして、すでに多くの動植物が絶滅あるいは、絶滅の危機に瀕しているのである。(シロバナタンポポ・ヘビイチゴ・キキョウ・ナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・ホタルカズラ・シュンラン・コクラン・ジガバチソウ・ハンミョウ・クロカナブン・アオカナブン・カブトムシ・ミヤマクワガタ・ヒラタクワガタ・マイマイカブリ・ミズスマシ・ゲンジボタル・マツモムシ・モンシロチョウ・アゲハチョウ・カラスアゲハ・ツマグロヒョウモン・ルリタテハ・カタツムリ・アカハライモリ、カラスガイ・タニシ・フナ・メダカ・など等)



2009年8月28日金曜日

南伊予って? 

 南伊予(南伊豫)とは、愛媛県伊予市の東端部に位置する地域の名称であり、1954年(昭和2年)まで愛媛県伊豫郡(現在の愛媛県伊予郡)にあった南伊豫村のことである。
 南伊豫村は、1885年(明治18年)に八倉村(やくら)・宮下村(みやした)・上野村(うえの)・上三谷村(かみみたに)を合併し発足。1888年(明治21)に公布、1889年(明治22年)施行された市町村制(明治の大合併)によって1889年(明治22年)12月15日に下三谷村(しもみたに)を合わせて南伊豫村が成立した。旧村は、大字八倉・大字宮下・大字上野・大字上三谷・大字下三谷となり、南伊豫村役場を大字上野においていた。(村の中央部)
 南伊豫村の村名の由来は、北伊豫村(現在の愛媛県伊予郡松前町の東端部一帯)の南に接する地域であることから南伊豫村と呼ばれていた。あるいは、北伊豫村の村名の由来と同様に伊豫神社(伊予神社:松前町神崎)を中心とした「伊豫」の南側の地という意味であるのかもしれない。
 1955年(昭和30年)1月1日 隣接する郡中町(ぐんちゅう)、北山崎村(きたやまさき)、南山崎村(みなみやまさき)と合併(昭和の大合併)し、伊豫市となり、住所表示等から南伊豫村と言う名称はなくなった。
 2005年(平成17年)4月1日 伊予郡中山町(なかやま)、伊予郡双海町(ふたみ)が伊予市と合併(平成の大合併)し、新伊予市が発足し現在に至っているが、南伊予の名称は、行政において南伊予地区として用いるなど、当該地区に暮らす人々の生活や意識に現在でも定着している。