そもそも、その地域に生息していた生物が環境の悪化(人間の活動)にともなって絶滅してしまったのだから、絶滅してしまった種を復活させるなどということは、死んでしまった人間を「生き返らす。」と言っているようなものだ。それでは、いったいどこから絶滅してしまった種をつれて来たのだろうか。まさか、「生き返らせた。」と言うのではないだろう。だとすると、どこかの地域で捕獲・採取され、繁殖飼育された種を放流あるいは、放蝶または放虫しているのだろう。(魚類や昆虫に限らず植物においても同様である。)確かに見た目にはどこの地域の種であても、ゲンジボタル〔Luciola cruciata Motschulsky, 1854 〕はゲンジボタルに変わりないのである。ゲンジボタルは、その発光の強さや飛翔の優雅さなどから、日本のホタル類の中でも人目を引きやすい。そのため、観光や自然回復をアピールする目的で、しばしば他地域から人為的に移入されてきた。無論、ゲンジボタルの生息地に「ホタルには変わりないのだ。」と言って、ヘイケボタル〔Luciola lateralis Motschulsky, 1860〕の幼虫を放流することはないであろうが・・・・・・?。
現段階ではゲンジボタルは種より下位の亜種には分けられてない。しかし、種より下位の分類群の多様性も保護されるべきであることは世界共通の認識となりつつある。実際、1993年に日本が締結した生物多様性条約(Convention on Biological Diversity)第2条には, 「生物多様性」の定義として、種内(within species)多様性も明記されている。この国際条約に基づいて制定された日本の生物多様性基本法(平成20年6月6日施行)第2条も同様である。
亜種レベルの差異ならば他の亜種との交配が可能であり、「自然を回復させる」との名目で他の場所から生物を持ち込むことは、多様性を失わせて亜種を消滅させることになり種の保全にはマイナスとも言える事態を引き起こす。
生物の個体はそれぞれある程度の遺伝子を共有する複数個体からなる集団に属し、一つの遺伝子プールを持っている。この集団を繁殖可能集団、デーム、あるいは個体群という。生物種は個体群そのものである場合もあるし、複数の個体群で構成されている場合もある。それぞれの個体群内で生殖が行われ、次世代の個体が生み出される。したがって、ある個体が死んでもその集団は存続するが、その集団に属する全個体が死んだ場合、その集団は消滅する。その場合、近縁であっても異なった集団は別の遺伝子プールを持つ集団であるから、失われた集団と同じものを復元することができない。(ただし、絶滅を回避できても個体が激減している場合はやはり以前と同じ遺伝子プールを復元することはできない)。これが絶滅である。絶滅は不可逆的な現象である。
”ホタルの飛び交う里”などと銘打って地域おこしと自然環境保護活動をしているが、その多くは他地域の種を繁殖飼育させ放流しているのだ。(移入)確かに過去にはホタルが飛び交っていただろう。だが、「沢山のホタルが飛び交っていて綺麗だから」というだけで、種の生態系や生息調査などしないで、(日本には40種類以上のホタルがいると言われる。)放流すればわずかに生き残った種と交雑し、遺伝子の撹乱を引き起こし、元々いた天然のゲンジボタルとは進化系統も発光周期も異なる移入ゲンジボタルに入れ替わってしまうのである。
毎年繰り返し行われる幼虫の放流は、ゲンジボタルが定着し、繁殖できないことを物語っている。あるいは、観光や自然回復をアピールする目的のために定着しないゲンジボタルの放流を繰り返すのだろうか。「自然保護だ。」「種の保存だ。」「自然の回復だ。」など言って、定着しないゲンジボタルの放流を繰り返し、素性の知れないゲンジボタルの幼虫を「環境教育の一環だ。」と、園児や小学生(低学年)に放流させいるのだ。なんとも不思議な光景であり、違和感を憶えるのである。こうした保護・保全活動は人間にととって都合のいい、行き過ぎた自然保護活動である。
行き過ぎた自然保護活動は、特定の一種のみを増やし、その地域の生態系を破壊するばかりでなく、河川であれば、下流域においてもその影響を及ぼし、広範囲で生態系と生物多様性の崩壊をまねく危険性をはらんでいるのだ。これでは本末転倒である。人間にとって都合の良い自然保護活動などないにひとしいのだ。
“真の自然保護・種の保存”を言うのであれば、種の生態系や生息状況、環境、生物多様性等の調査行い、特定の種のみを保護・保全するのではなく、生態系そのものを保護・保全しなければならないのである。河川の浄化や自然の回復・水質の浄化だけではなく、親が産卵し、幼虫が蛹化のために上陸する岸辺、休息するための河川周辺の環境まで整備が不可欠であり、また、餌となるカワニナはもちろん、各成長段階に対応した環境が必要である。ホタルが定着したことで河川を含む環境が良くなったと考えるのは、必ずしも十分ではないと言える。たとえばトンボ類であれば、成虫が河川周辺の広い範囲を飛び回り、そこで餌を食べ、種によっては縄張りを作るなどさまざまな行動をする必要があるため、はるかに広い範囲の自然環境を必要とする。狭い範囲の場所のみを保全(保護・保全区域等に指定)したところで、多様な生物が定着し、繁殖するはずがないのである。自然環境はそれほど単純ではなく、人間が頭の中で考えるよりもはるかに複雑なのだ。その複雑な自然環境の調和が保たれてこそ生態系が守られるのだ。それこそが本当の自然保護と言えるのだろう。
全ての生物は直接的(食物連鎖)あるいは、間接的(死骸や落葉などの分解)に関わり、複雑かつ合理的にその均衡を保っているのである。複雑かつ合理的な均衡が崩れた時、直接的あるいは、間接的にヒトに影響を及ぼすのだ。(すでに、大なり小なり影響を及ぼし始めている。)
愚かな人間は言う。「生物とヒトは違うのだ。」と、「生物の中でも、ヒトは特別なのだ。」と、・・・・・・。「ヒトは特別なのだから、環境を破壊し、生物を絶滅させても良い。」と言うのであろうか。「ヒトは特別なのだから、特別な能力で特別な何かができる。」と言うのだろうか。ヒトも生物群の中の一種でしかないのだから地球上に生息する生物として、自然環境の調和を今こそ、真剣に考える時なのではないのだろうか。
出典・引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホタル
ゲンジボタル
ヘイケボタル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%AB
日本ホタルの会 http://www.nihon-hotaru.com/